
公会堂前は、ただの斜面になっています
が、子どものころは、まだリヤカーが通れる幅がありました
なぜ、こうなったか というと
斜面上の畑の持ち主が、道のへりに杉の木を植え、
それが大きくなり、人も通れなくなり
ついには、道が崩れてしまったのです
地籍調査のときに、杉の木は切られましたが、
なくなった道は、もとにはもどりません
さて、地籍調査でどうなったか


黄色〇は、地籍の境くいが残っていたところです
明治20年の地図があるので、比べてみます

形は同じですが、畑が分けられて、別人のところのものになっています
ちなみに、この明治地図は、我が家のもので、村の代表者2軒(多分当時の地主)に配られ、そのまま現在に伝わっています
道と杭を探してみました

黄色〇の杭がありました
畑を分けた境に、石を置いています

直線上はあぜになっていて、左の管理者は、毎年草刈りをしています
右の一段下がったところに、畑が続いているものと思われますが、
Yさんの土地で、三隅にはいないとのこと
隣接の田畑が、現住だったら、迷惑をかけるので、ずっと草刈り管理をしなければいけません
木を植えれば、楽なのですが、日陰にすると、また、問題になるので、その点も考えなければいけません

赤線道路は、もうただの斜面で、その内、忘れ去られるでしょう
ただ、自治会で、毎年草刈りが必要となります

寒い一日だったので、カーテンを短くしただけです