ふすまの古文書を調べています 前回、村に風鎮祈祷の要請があった文書の切れ端を紹介しました 今回は、その続きで、生島村人が、八幡社に参詣した手紙です
この手紙は、庄屋「清蔵」にあてたものと思います
江戸時代は、風水害がたびたびあり、享保、天明、天保などの大きな飢饉がありましたが、長州藩では、文政時代に、洪水がたびたびあったようです あまりに続くので、天乞の実施になったと思われます
畔頭役だった忠蔵さんですが、小作で、村の世話も負担だったと思われます 庄屋は、さらに大きな負担だったことでしょう 庄屋をした家がつぶれていったと、生島村では伝わっています
生島村では、「雨乞」も行われていました 大歳社の横に、「水神様」があり、「河内家」という地名が残っています
「雨乞」は、長門地方で、いろんな形で行われていたようです 特に、俵山の雨乞が珍しです 滝の近くには、河川プールがあり、夏はたくさんの人が来ますが、こんな珍しい話も知ってほしいです