ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
忠蔵さんが住んでいる生島村には、小名が、やぶさめ(流鏑馬、鏑流馬)という場所があります
生島村には、昔、八幡宮があり、源範頼の墓の下には、「やぶさめ」という場所があります 地名から、多分、流鏑馬があっただろうと想像できます
忠蔵さんの記録で、実際に、江戸時代まで、流鏑馬の道具が引き継がれてきたことが、分かりました
御米蔵の中に、大切に引き継がれてきたようです 道具は、全部ではありませんが、この記録は、とても意味あるものだと思います
源範頼の言い伝えを、紹介します(以前紹介したもの)
注進案には、村人に、源範頼のことを尋ねると、皆知らないと答えたと書いてあります 村人は、何か悪いことが起こると勘違いして、鑓の刃を捨てたのかも せっかく道具があったことが分かったのに、なぞが深まるばかりです