ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、領主・村上作兵衛様へ、御米(年貢の一部)を運んだことです 忠蔵さんは、領主のことを、御屋敷、地頭と書いています 村上作兵衛の屋敷は、もちろん萩です(ただ、古地図で、どこかまだ分かりません)
知行場所、久原と生島から集めた御米、36俵を、玉江の御番所へ運んでいます
生島から明石までは、陸路、明石から玉江までは、海路です 玉江に御番所あったようです 明石の手前に、飯井という港がありますが、なぜか使っていません
明石の港は、とても小さいですが、江戸時代は船便で、大事な役を果たしていたのでしょう
明石の村は、高速道路、萩三隅の道の駅ができてから、また、活気がもどっています 今の時期、山の上まで袋かけしたビワの木が目に入ります
昨日は、たけのこをたくさん掘りました ようやく、イノシシが、飽きたようです