自作本の紹介をしています 今日は、長屋(牛馬屋、駄屋、納屋)修補のことです
忠蔵さんは、寛政11年に、水野家の盛衰録と略系図を書き、家の大きさを記録していました
2世のころまでは、地主として田畑も広く、馬まで飼っていたことが分かります 分家と天明の飢饉で、一気に落ちぶれてしまいました 当時は、馬を飼っている農家は多かったようです 生島村には、流鏑馬という地名があり、御米蔵には、流鏑馬道具も保管されており、村人も、流鏑馬神事のための馬を出していたようです
忠蔵さんの住んだ家は、昭和33年ころ建て替えたので、写真が残っていました