畑のイチョウが、紅葉しながら散っています この秋は、イチョウの紅葉は、どこもよくなかったとか
長門三隅樅の木に、草刈氏一族の墓地があります
江戸時代、樅の木の領主は、草刈氏でした
行程記(1742年)に、草刈氏の名前があります
法経宗(日蓮宗)了性院
高 弐百三十七石六斗弐升 家数 拾六軒 草刈太郎左衛門知行 もみの木
注進案(1842年)に、草刈氏が、樅の木の給領主とあります
戦国時代、秀吉が、高松城を水攻めしている頃、草刈氏は、美作高山城主だったようです
秀吉と毛利の和睦の結果、草刈氏は、城・領地を失い、小早川に助けられて北九州で知行となり、関ヶ原の戦いの後は、毛利について、この地長門三隅樅の木の知行となったようです(三隅町史)
樅の木に、了性院というお寺があります
お寺の名前は、昌樹・了性院 了性は、草刈次郎重継(高山城主)の法名で、昌樹は、その妻宗像氏の法名だそうです(三隅町史)
墓を探して、境内をうろうろしていたら、住職さんが来られて、場所を教えていただきました
墓地は、お寺から少し離れた山の中にありました
了性院と草刈氏の墓地は、国道から少し南に行ったところにあります 草刈氏は、戦国戦乱の世で、翻弄された後、毛利のもとで、やっと、落ち着いて過ごせたのではないでしょうか