ふすまにあった明治30年ころの古文書を調べています 今日は、米代、酒代、塩代のことがかかれたメモです ただ、塩代については、文字がよく読めていません
塩については、百斤なのか白□なのか、まだよくわかりません
「斤」は、江戸時代、砂糖の量に使われていました
塩は、「俵」で書かれています
買物の値段から割り出すと、米より多くなるので、こんなに塩がいるのだろうかと思います 捕鯨で有名だった長門市青海島「通浦」で、ききんがあったとき、大庄屋が、米、麦、塩を支援している文書があったので、紹介します
すごい量の塩が必要とされています 浦人に支援した「戸田家」は、その後火災にあったりして落ちぶれてしまったようです
寒くなりましたが、いちじくが、がんばってぶらさがっています
水分、蜜はありませんでしたが、甘くなっていました