屏風の古文書を整理しています 藩医の中に、久坂玄瑞の父の名がありました


御殿の子供と藩医の名前を、書いてみました 間違いがあるかも

姫の一人で、3才でなくなった子がいます この文書は、天保12年から14年の間のものと思います

上の欄に、他の藩医の名があります 別のところで、勤めていたようです

安政2年ころ、萩藩士全員の給与の本がありました 参考になります 久坂玄瑞の名も、あったと思います


敬親は、一度に3人も藩主をなくしました 西洋医学の必要性を感じていたのでしょう 医学養成所、好生館が、八丁御殿のそばにできました