屏風の裏から、古文書を取り出しています

毛利の姫様と藩医の名前が出てきました

貞操院様、法鏡院様は、毛利9代、10代藩主の正室様です お付けの藩医の名もあります

芳春院様、9代藩主側室の名もあります 10代がなくなられてから、貞操院様がなくなられるまで、1836年から1852年の間の文書だということが、わかります
それから、11代、12代もなくなられました

藩主が3人もなくなられて、毛利藩は、大変なことになりました
そして、13代敬親さんがつかれました

再登用されたのが、村田清風先生です 豊富な経験を生かして、藩の改革に取り組まれました
さて、そのころ、忠蔵さんの家は、こんな様子でした

忠蔵さんは、なくなって、百合吉(忠兵衛)が、働いていました 厳しい生活は、変わりません 天保の飢饉があった後です 長州では、天保2年に大一揆がおこりました
それにしても、この屏風は、いろんなことを教えてくれます