前回、初代毛利藩主、秀就が、江戸に10年間、住んでいたことを書きました


西軍の指揮者だった父輝元は、出家で許されましたが、安国寺は、処刑されました 秀就は、人質として、江戸住まいです
輝元の側近には、堅田元慶(もとよし)がいましたが、処刑されませんでした そのかわり、秀就といっしょに、証人として、江戸に行きました

堅田元慶は、江戸でなくなりました 堅田家は、毛利藩にとって重要な人物だったことを、あらためて知りました


ほとんどは、周南のお寺にあるそうです
屏風の中には、堅田家の法事の資料がありました


堅田家の文書は、整理に時間がかかっています

マンゲツモチの田は、ひえまみれになったので、今日から取り始めました