朝から雨ですが次の大寒波が来るようです
行程記三隅(寛保)を見ていて不思議だなと思いました
中小野の知行児玉家です 高三百拾弐石四斗九升七合 家数弐拾七軒 児玉三郎左衛門知行中小野 中小野は広い土地が多い
小島の知行児玉家です 高三百九拾七石一斗五升七合 家数六十五軒 児玉主計知行小嶋 主計とは「かずえ」とも読むようです
博物館売店で買った古地図で探しました
児玉三郎左衛門の家がありました 大きな屋敷です 3000石です
児玉主計ではなく主税です 2200石でやはり大きな屋敷です 主税は「ちから」とも読むようです
毛利主計と主計がついています ここは城近くで一門に近い人が住んでいます
国司主税と主税がついています
主税とは年貢の米を集める役で主計とは米を分配する役だそうです 国にも主税局と主計局があるようです 税金を集めたり分配したりする重要な役目のようです 古地図(幕末)ができたときに児玉家は主計から主税に変わっていたのでしょうか 村上作兵衛は三隅の米蔵を担当する役で児玉は藩の年貢を担当する重役だった?