今、ヒガンバナが、まぶしいくらいに咲いています こんなに多いのは、ききんのときのために育てていたのかと思います
昨日は、「なだら」を片づけ、田の畔に、除草剤をまきました
畔に生えるムツオレグサやキシュウスズメノヒエは、水の中でも平気で、別の植物のように増えていきます
今の内に、大元の株を枯らしておこうと、この2種類の場所に、濃いめの除草剤をまきました
2種類の夏の様子です 伸び方は、よく似ています
春までに、後2回位、除草剤をまこうと思います
今、ヒガンバナが、まぶしいくらいに咲いています こんなに多いのは、ききんのときのために育てていたのかと思います
昨日は、「なだら」を片づけ、田の畔に、除草剤をまきました
畔に生えるムツオレグサやキシュウスズメノヒエは、水の中でも平気で、別の植物のように増えていきます
今の内に、大元の株を枯らしておこうと、この2種類の場所に、濃いめの除草剤をまきました
2種類の夏の様子です 伸び方は、よく似ています
春までに、後2回位、除草剤をまこうと思います
襖に貼ってあった、江戸時代の日記を、整理しています
今日は、かや(茅)の代金です
かや(茅)は、休耕田や荒れ地で、日当たりのよい場所に群生します
かやで、炭俵を作っていました 子供の頃、かや刈りを手伝ったことがあります だつも少し編みました
昭和初め、つい最近までは、かやぶき屋根があり、ふきかえや補修に、かやが必要でした そのため、地下(村)の山に、かや刈り場がありました
忠蔵さんは、かやを売っていますが、共有地のものをかってに売ることはできなかったと思います 多分、自分の山野に生えているかやを、刈って売ったのでしょう
隣村の津雲村と中村が、かや刈り場のことで争っています
かやぶき屋根がほとんどで、農家が牛を飼っていた江戸時代は、かや刈り場は、重要な場所だったと思われます
低学年のころ、学校の遠足が、津雲のかや刈り場で、そこで、滑った記憶があります
かやぶき屋根がなくなってから、かや刈り場も消えたと思います
一位ケ岳では、今も、かやの原(刈った後)で、滑ることができます
かや(茅)(ススキ)は、毎年刈ることによって、その植生が維持されているようです
秋吉台の草原が、山焼きによって維持されているのと似ているようです
天保時代の書物「萩藩、風土注進案」に、草原の植物が各地で見られますが、これも、かや刈り場があったためではないかと思っています
以下、これまでの品物と代金一覧です
秋雨前線が一休みしました 今日は、旅日よりです
中断していた稲刈りが、あちこちで進められています 秋は、どんどん深まっているようです
昨日、今日は、墓地前の立ち木を整理しました 石材屋さんには、伐採の依頼がよくあるそうです 自分で切られる内に、切っておこうと思います
丸太は、輪切りにして、来年の薪にする予定です
輪を数えてみました 昭和50年ころ、長門地方を、まつくいむし(マツノザイセンチュウ)が襲いました ここに植えた松も、そのとき枯れたので、杉を植えました
残った杉が、100年たってもじゃまにならないように、したつもりですが・・・
ヒガンバナが、次々咲いています
ユズキチの実が大きくなりました でも、このユズキチには、種がたくさんできるので、少し残念
今日は、マンゲツモチをこぎました
今、襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています
今日は、わら(稿)の代金です
わらは、けっこうな値段になっています 農家では、牛を飼っているので、余分のわらで副収入を得ていたのでしょう
令和10519「櫨はぜ」訂正
以下、これまでの品物と代金一覧です
襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています
今日は、「おない代」のことです 「おない代」とは、縄をなう手間賃のことだろうと、解釈しました
縄を1丸なうのに、1匁と計算しているようです 以前の資料で、1丸は2匁というのがありました 半分は、「手間賃」と考えてもよさそうです 「房」については、どういう状態のものか、よく分かりません しめ縄の房とすると、2丸で5房 1房足りないので、変です
以下、これまでの品物の代金一覧です