チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

長州藩、忠蔵さんの農民日記32、かや(茅)の代金

襖に貼ってあった、江戸時代の日記を、整理しています

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今日は、かや(茅)の代金です

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かや(茅)は、休耕田や荒れ地で、日当たりのよい場所に群生します

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かやで、炭俵を作っていました 子供の頃、かや刈りを手伝ったことがあります だつも少し編みました 

昭和初め、つい最近までは、かやぶき屋根があり、ふきかえや補修に、かやが必要でした そのため、地下(村)の山に、かや刈り場がありました

忠蔵さんは、かやを売っていますが、共有地のものをかってに売ることはできなかったと思います 多分、自分の山野に生えているかやを、刈って売ったのでしょう

隣村の津雲村と中村が、かや刈り場のことで争っています

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かやぶき屋根がほとんどで、農家が牛を飼っていた江戸時代は、かや刈り場は、重要な場所だったと思われます

低学年のころ、学校の遠足が、津雲のかや刈り場で、そこで、滑った記憶があります

かやぶき屋根がなくなってから、かや刈り場も消えたと思います

一位ケ岳では、今も、かやの原(刈った後)で、滑ることができます

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かや(茅)(ススキ)は、毎年刈ることによって、その植生が維持されているようです

秋吉台の草原が、山焼きによって維持されているのと似ているようです

天保時代の書物「萩藩、風土注進案」に、草原の植物が各地で見られますが、これも、かや刈り場があったためではないかと思っています

以下、これまでの品物と代金一覧です

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