襖に貼ってあった、江戸時代の日記を、整理しています
今日は、かや(茅)の代金です
かや(茅)は、休耕田や荒れ地で、日当たりのよい場所に群生します
かやで、炭俵を作っていました 子供の頃、かや刈りを手伝ったことがあります だつも少し編みました
昭和初め、つい最近までは、かやぶき屋根があり、ふきかえや補修に、かやが必要でした そのため、地下(村)の山に、かや刈り場がありました
忠蔵さんは、かやを売っていますが、共有地のものをかってに売ることはできなかったと思います 多分、自分の山野に生えているかやを、刈って売ったのでしょう
隣村の津雲村と中村が、かや刈り場のことで争っています
かやぶき屋根がほとんどで、農家が牛を飼っていた江戸時代は、かや刈り場は、重要な場所だったと思われます
低学年のころ、学校の遠足が、津雲のかや刈り場で、そこで、滑った記憶があります
かやぶき屋根がなくなってから、かや刈り場も消えたと思います
一位ケ岳では、今も、かやの原(刈った後)で、滑ることができます
かや(茅)(ススキ)は、毎年刈ることによって、その植生が維持されているようです
秋吉台の草原が、山焼きによって維持されているのと似ているようです
天保時代の書物「萩藩、風土注進案」に、草原の植物が各地で見られますが、これも、かや刈り場があったためではないかと思っています
以下、これまでの品物と代金一覧です