昨日は山間部の積雪で萩山口の駅伝が中止になりました
江戸時代のある時期米1石が銀100匁だったといわれています 手元の資料で計算してみました
天保13年防長風土注進案通浦の年貢に石高と銀両方かいてありました
畠高 75石5升5合 = 75、055石
銀 750目(匁)5分5厘 畠銀は1石=10匁
大日比浦は
畠高 143石4斗3升 = 143、43石
銀 1貫434匁3分 同じく畠銀は1石=10匁
※浦はどちらで納めてもよいと推定して考えています
当家(農村)の資料には田畠に銀の値段が書いてありません
宝暦時代の畠の年貢です
河内南村はかさこ 畠3畝 米4升5合 1畝=1升5合=1、5升
明和時代、寛政時代も同じです
宝暦時代の田の年貢です
南村原の川 田4畝 米5斗2升 1畝=1斗3升=13升
明和時代、寛政時代も同じです
田は13升÷畠1、3升=田は畠の8、67倍
畠は1石10匁 田は畠の8、67倍だから1石は86、7匁 町に出回るころには100匁になっていてこの考えでよさそうです
年貢は春決められ畔頭(くろがしら)、庄屋が取りまとめで代官所に提出したそうです
生嶋春定名寄帳 これはその帳面(文久時代)の表紙です 当家のふすまの下張りに使われていました
河内原村たこん畠 畠4畝 米7升2合 1畝=1升8合
右明和年中之比 第3世忠左衛門開立仕候夫より相続き耕作仕候処 寛政年中之比より御屋敷より石盛被仰付候 庄屋介左衛門役中
御屋敷(生島村地頭:知行、村上作兵衛様)から年貢の値段を1畝3合分上げられています 江戸時代の資料からいろいろ想像できます