天気予報があたりました 明け方の雨が雪に変わり、山の上から白くなり始めました
三隅上地区にととどろく兎渡谷という地区があります 左(北)が高砂山385m、右(南)が権現山560mです
地図での位置関係です 昔はここまで船が入ったようで、磯地、塩入り、船入りなどの小名が残っています
兎渡谷地区です
国道側は兎渡谷でも三軒屋と言われています
寛保2年(1743)行程記には、三軒屋の上に権現山があります 今権現山と言われるのは「ごう石山」のことでしょうか 権現山には神社があります
南の高尾山にあった神様をここ谷口村に移して神楽を演じると、兎が谷を渡って海難が消え以来兎渡谷となったと 神社を探してみました
バス停から旧道に入ると注連縄をした山道があります
少し登って分かれ道を左に行きます
道には水が流れていて不安になりましたが、建て物のあとらしき石垣に出ました これが3つ続いていました
立派な鳥居があり、ほっとしました
熊野権現宮とあります
ここから自然石の石段になります 135段あるようです
社がありました 写真で紹介されていたのものはもっと大きく、厳島神社とあり、そばに電柱やシュロの木があるので、これとは別物と思われます
この灯篭は元禄2年に通浦の人によって奉納されたそうです
3人の名前がありました 風土注進案の通浦を調べると、元禄3年瀬戸崎浦との鯨猟の取り決めに、この3人の名前が並んで書いてありました
通浦御庄屋、山田忠左衛門 年寄、孫兵衛 惣網頭、池永藤右衛門
網頭には早川作左衛門の名もありました
高尾山は豊原から二条窪を通りその向こうにあるようです ここは渋木、真木のあたりでしょうか
生島から見た山です 2つの山の間が二条窪になります 左が「女夫岩山」、右が「とびがす山」でしょうか 手前の小さい山には大きな石があります 「古城山」でしょうか 高尾山らしき山は見えません 渋木には「大滝」と「花尾」という山があります 花尾には今も2つの権現社(美祢と長門)があります
鯨猟をめぐって瀬戸崎浦と色々あり、元禄当時、通が三隅村だったので通の人が兎渡谷に熊野権現に奉納したのでしょうか くじら歌には、熊野に三度参るとあります
3月に古文書講座があり内容は通浦のことなので、とても楽しみです