長門の山では、もともと自生していたヤマハゼと栽培されたリュウキュウハゼののらばえが混生しています

上の山に、ミツバアケビがからみついたハゼの木があります

葉や実蝋の特徴から、この木はリュウキュウハゼです 子供のころには、ここにはぜの老木があり、昔実を採取していたものと思います 先祖5世忠蔵さんは、はぜの植栽記録を残していました






長州藩(萩藩)のはぜの栽培は、享保時代、薩摩藩から伝授されたそうです

はぜは、実のなる雌木だけ接木で増やしていきますが、枯れやすく根付くまで気が抜けなかったようです それでも、長州藩は、比較的早く栽培に成功したようです

忠蔵さんは、収量を記録していますが、文政時代は記録がぬけています

借銀返済のために、櫨付き畑を売っているので、それが原因かもしれません