長門市三隅と美祢市嘉万の境に、権現山があります その昔は高尾山と呼ばれていたそうです
権現山の頂上は、少し平坦になっています ここに、権現社があったようです
ところで、現在の地図を見ると、この高尾山をはじめとして、昔の名の山が、本当にあったのか、分かりません
萩の行程記の中に、地名が変わったことが、書かれています
明木と大井の名が、変わったようです
行程記や地下上申で、同じ場所が、どのように書かれているか、三隅と嘉万の境を比べてみました
三隅と嘉万の境だけで、こんなにも違いがあります でも、共通点はないか、考えてみました
全く違った名前がついている訳でもないように思いました でも、これだけバラバラでは、全国統一にも、支障を生じたことでしょう 明治時代、地図が作成されたことは、大きな成果だったように思います