今日から令和になりました
生島の谷にも、令和の風がふいていました
今日は、田の畔草をかりました
うりのならづけに挑戦してみようと、うりの種を買いました
やっと芽がでました
さくらんぼが赤くなってきました よく見ると、しわがなくなっているみたいです しわの間に果汁が入って、ふくらんだのでしょうか
実がかじられています ありが入っていました かめむしと小鳥、からす対策に網をはったのに、ありではどうしようもありません
今日から令和になりました
生島の谷にも、令和の風がふいていました
今日は、田の畔草をかりました
うりのならづけに挑戦してみようと、うりの種を買いました
やっと芽がでました
さくらんぼが赤くなってきました よく見ると、しわがなくなっているみたいです しわの間に果汁が入って、ふくらんだのでしょうか
実がかじられています ありが入っていました かめむしと小鳥、からす対策に網をはったのに、ありではどうしようもありません
ソーメンウリの芽が大きくなったので、畑に植えました
毎年、ウリハムシとカメムシに食べられるので、それを見込んで、4,5本まとめて植えました あとは、自然淘汰で大きくなってくれれば
暖地性サクランボの実が大きくなって、楽しみにしていたところ・・・
何個かは、落下し、残った実には、しわがよっていました カメムシかハチに全部吸われたのか、病気か、心配になりました 葉は生き生きしているのに・・・
別の場所のを見ました
畑のサクランボの実にも、しわがありました
山に植えたサクランボにも、しわがありました
ソメイヨシノには、しわができていません
ヤマザクラにもしわはありません
実のしわは、暖地性サクランボ特有のものなのか? 羽化したせみが、羽を伸ばすように、実がふくらんでしわがとれるのかな 様子を見なくては
長州藩の農民、忠蔵さんの記録を整理しています
前回、忠蔵さんの村、生島村と久原村の年貢のことを紹介しました
今日は、忠蔵さんが、5世で受け継いだ田畠について、紹介します 忠蔵さんは、自分が受け継ぐまでの、田畠の記録を残しています
記録を、整理集計してみました
忠蔵さんまで、田畠がどのように分割、相続されたかまとめてみました
栄枯盛衰 忠蔵さんは、不幸にもその底にあたってしまいました 頼母子、手形、借用書など、多数あります 5反程度の田畠で、どんな農業をしていたのか、これから紹介していきたいと思います
先日、八幡宮春の例祭の前、宮司さんが、大般若波羅蜜多経写しが、市の指定文化財になったと話されました。
市のホームページに、紹介してありました 大内の時代に、三隅に中国の僧が住んでおられ、その方たちが、写経したそうです そのうちの一人は、熊野権現社に狛犬を献納されたとのことです
大般若波羅蜜多経写しは、隣の飯山八幡宮にもありました どちらにも、この写経があるということは、当時の長門地方は、大陸との貿易にかかわりが深かったということでしょうか 大内氏も大きな役割を果たしていることでしょう
狛犬は、この場所から掘り出されたようです ここには、どんな人が住んでいたのか、これから新しい史料が見つからないかなあ
以前紹介した、みすみ昔話を再度紹介します