今日は一転嵐となりました
江戸時代の生島村の米の収量について調べています
前回、2人について、特別に高い目標値(春定)があり、田中先生の本を読んで、どうも物成4割を維持しながら、萩藩の多額の負債を埋めるために作られたカラクリではないかと、思うようになりました
当家5世、忠蔵さんの帳面を調べてみました
忠蔵さんの田んぼにも、1枚特別な「春定」がありました
忠蔵さんは、天明の飢饉で大ダメージを受けたようで、その後借銀の悪循環でした
その中で「畔頭」役を受けたのは、ほぼ輪番制だったからでしょう