ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文政4,5,6年のものです
文政4年は、たびたび米を借りています
文政6年は、状況がよくなっていくのかなと思われますが、長州藩の不作は、長引いていたようです
裏庭のオニユリが、咲きました 台風の影響で、まだ雨が降っています あしたは、よい天気になるのかな
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
長州藩の小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文政3年のものです
文政時代、長州藩は、不作の連続だったようです 前大津(長門市、三隅、豊田の一部)は、文政4年がひどかったようです 忠蔵さんの記録をみると、文政3年から不作が始まっているようです
混納帳に、小作地の加調米(地主に渡す米)のことが書かれていました
混納帳は、ばらばらになっていたものを、数字を合わせてつないでいます 加調米の部分は、上の張り紙が取れないので、裏をスキャンして、パソコンで反転しました
小作地が、予定の収量に達していないので、加調米を渡すのは、たいへんです 多分、不足分は、借銭となったものと思います
桝の大きさが変わったことや、加調米が増えたことの、年代を確定できれば、状況をもっとくわしくつかめるのですが・・・
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文政2年のものです
保有米の6~7俵になっています 不作になっているのか、加調にとられているのか きびしい状況が続きます
畑の石垣の横の草取りが、いつもめんどうでした 除草剤で枯らしたついでに、コンクリをはることにしました
砂とセメントを混ぜて水でドロドロにします バラスは、あとからまぶして使います
おおざっぱですが、コンクリはりができました
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文化14年のものです
米の量が減ってきています その理由は、これから調べてみます
文化の時代が、終わります 盛衰録に記載されている借銭の記録を、ひろってみました
これは、主だったものだけだと思います ふすまの中からは、頼母子や手形の記録が、たくさん見つかりました
ぶどうハウスの中に、くもの巣が増えました
無農薬で育てているので、くもが、害虫予防になっているかもしれません
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文化13年のものです
農民日記53で紹介した鯨油のことは、次のようなものです
鯨油は、小作の忠蔵さんでも買えたのでしょう 忠蔵さんの作付け面積は、まだ確定できていません 自分の田は、最低期2反くらいしかなかったと思います
山本家から配られた鯨油は、前大津の面積からすると、ほんのわずかです 被害田を対象に配られたのでしょう