チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

屏風の古文書、林喜八郎のこと

屏風の中の古文書を調べています

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墨がぬってありますが、少し読めました 目付役、林喜八郎とあります 聞いたことがあるので、ネットで調べてみました

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天保2年、長州大一揆のとき、吉田代官で対応した人でした 以前の、古文書講座の資料に、林喜八郎の名がありました 紹介します

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f:id:chuumeikun:20181220000220j:plainふすまや屏風のおかげで、幕末の資料が、少しずつ集まっています 

長州藩、忠蔵さんの農民日記62、稲刈り

ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています

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今日は、稲刈りのことです

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稲は、山の中までつくられた田もあり、長い期間かかってうれるので、刈り取りも長く続きました 稿もぎのことは、もう少し調べてみます

昨日から、冷たい雨がふっています

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合間に、里芋をほりました

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まずますのできです

屏風の古文書に久坂玄瑞の父の名が

屏風の古文書を整理しています 藩医の中に、久坂玄瑞の父の名がありました

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御殿の子供と藩医の名前を、書いてみました 間違いがあるかも

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姫の一人で、3才でなくなった子がいます この文書は、天保12年から14年の間のものと思います

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上の欄に、他の藩医の名があります 別のところで、勤めていたようです

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安政2年ころ、萩藩士全員の給与の本がありました 参考になります 久坂玄瑞の名も、あったと思います

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敬親は、一度に3人も藩主をなくしました 西洋医学の必要性を感じていたのでしょう 医学養成所、好生館が、八丁御殿のそばにできました 

長州藩、忠蔵さんの農民日記61、ほこり落とし

ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています

今日は、ほこり落としのことです

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ほこり落としで、肴をかったり、お米を渡したりしています すす払いのあとのお礼かと思いました 三隅町史と注進案で、調べてみました

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すす払いは、12月13日に、昔から行われてきたようです テレビやラジオでも、言っていました ほこり落としは、10月なので、ちがうようです

注進案に、ほこり落としがありました

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稲の収穫、蔵納が終わり、麦種まきもすませて、ゆっくり休んだようです 調べたのは、長門地方だけですが、県内各地で行われていると思います 餅つきや「いのこ」の行事もありました いのこの様子の絵が、注進案にかかれています 見島では、昭和50年代も行われていましたが、今は、どうでしょうか

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おいしい料理をいただいて、収穫を喜ぶという、農家の大きな区切りだったようです

12月13日、すす払いのあとは、いよいよ年末です 住み込みで働いている人は、お米を労賃にもらって、実家へ帰ったようです 

屏風の古文書3、毛利の姫様と藩医の名前

屏風の裏から、古文書を取り出しています

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毛利の姫様と藩医の名前が出てきました

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貞操院様、法鏡院様は、毛利9代、10代藩主の正室様です お付けの藩医の名もあります

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芳春院様、9代藩主側室の名もあります 10代がなくなられてから、貞操院様がなくなられるまで、1836年から1852年の間の文書だということが、わかります

それから、11代、12代もなくなられました

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藩主が3人もなくなられて、毛利藩は、大変なことになりました 

そして、13代敬親さんがつかれました

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再登用されたのが、村田清風先生です 豊富な経験を生かして、藩の改革に取り組まれました

さて、そのころ、忠蔵さんの家は、こんな様子でした

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忠蔵さんは、なくなって、百合吉(忠兵衛)が、働いていました 厳しい生活は、変わりません 天保の飢饉があった後です 長州では、天保2年に大一揆がおこりました

それにしても、この屏風は、いろんなことを教えてくれます 

長州藩、忠蔵さんの農民日記60、頼母子の4、不足で質、麦も代金

ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています

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今日も、頼母子の続きです

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不足になったときは、質に流れています 麦が代金になっています 米が代金になっている記録もありました 小さな百姓は、身をけずりながら生活していたのかもしれません

長州藩、忠蔵さんの農民日記59、頼母子3、仕詰め

ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています

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今日は、借用期限のきたときの、仕詰めのことです

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頼母子講は、お金にこまったときの役にたっていますが、収入が増えず、返金できなければ、次第に借金がふくらんでいくのが、厳しい現実です