屏風の中の古文書を調べています
墨がぬってありますが、少し読めました 目付役、林喜八郎とあります 聞いたことがあるので、ネットで調べてみました
天保2年、長州大一揆のとき、吉田代官で対応した人でした 以前の、古文書講座の資料に、林喜八郎の名がありました 紹介します
ふすまや屏風のおかげで、幕末の資料が、少しずつ集まっています
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、稲刈りのことです
稲は、山の中までつくられた田もあり、長い期間かかってうれるので、刈り取りも長く続きました 稿もぎのことは、もう少し調べてみます
昨日から、冷たい雨がふっています
合間に、里芋をほりました
まずますのできです
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、ほこり落としのことです
ほこり落としで、肴をかったり、お米を渡したりしています すす払いのあとのお礼かと思いました 三隅町史と注進案で、調べてみました
すす払いは、12月13日に、昔から行われてきたようです テレビやラジオでも、言っていました ほこり落としは、10月なので、ちがうようです
注進案に、ほこり落としがありました
稲の収穫、蔵納が終わり、麦種まきもすませて、ゆっくり休んだようです 調べたのは、長門地方だけですが、県内各地で行われていると思います 餅つきや「いのこ」の行事もありました いのこの様子の絵が、注進案にかかれています 見島では、昭和50年代も行われていましたが、今は、どうでしょうか
おいしい料理をいただいて、収穫を喜ぶという、農家の大きな区切りだったようです
12月13日、すす払いのあとは、いよいよ年末です 住み込みで働いている人は、お米を労賃にもらって、実家へ帰ったようです
屏風の裏から、古文書を取り出しています
毛利の姫様と藩医の名前が出てきました
貞操院様、法鏡院様は、毛利9代、10代藩主の正室様です お付けの藩医の名もあります
芳春院様、9代藩主側室の名もあります 10代がなくなられてから、貞操院様がなくなられるまで、1836年から1852年の間の文書だということが、わかります
それから、11代、12代もなくなられました
藩主が3人もなくなられて、毛利藩は、大変なことになりました
そして、13代敬親さんがつかれました
再登用されたのが、村田清風先生です 豊富な経験を生かして、藩の改革に取り組まれました
さて、そのころ、忠蔵さんの家は、こんな様子でした
忠蔵さんは、なくなって、百合吉(忠兵衛)が、働いていました 厳しい生活は、変わりません 天保の飢饉があった後です 長州では、天保2年に大一揆がおこりました
それにしても、この屏風は、いろんなことを教えてくれます
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日も、頼母子の続きです
不足になったときは、質に流れています 麦が代金になっています 米が代金になっている記録もありました 小さな百姓は、身をけずりながら生活していたのかもしれません
ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、借用期限のきたときの、仕詰めのことです
頼母子講は、お金にこまったときの役にたっていますが、収入が増えず、返金できなければ、次第に借金がふくらんでいくのが、厳しい現実です