チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

長州藩、忠蔵さんの農民日記45、弟忠右衛門の妻の墓のこと

ふすまに貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています

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忠蔵さんの墓を調べていて、2つ、位牌にも系図にもないものがありました

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忠右衛門の関係女性で、文化4年になくなっています

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忠蔵さんの日記に、文化5年のものがありました 右が、文化4年だと思います そこに、忠右衛門さんへ、御鉢米を届けたことが書いてあります 葬儀に関するものです 今も地下には、各家1升ずつ出しています 忠右衛門さんは、分家ですが、忠蔵さんの弟、佐五郎だから、同じ墓地におかれたのでしょう

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忠右衛門という名は、三世、七世もですので、ややこしいですが、文化4年は、どちらも関係ありません 若くして奥さんをなくし、一代のみの分家になったのでしょう

墓地探しといえば、当地村田清風先生が、有名です 文化14年、毛利の先祖の墓を探しに、鎌倉に行っています

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清風先生の墓探しは、はんぱないです そういえば、鶴岡八幡宮には、島津家の先祖の墓もあったような・・・

長州藩、忠蔵さんの農民日記44、供養のあとに、イカで一杯

襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています

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今日は、居酒屋での、癒しの一時のことです

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忠蔵さんは、中供養で、お寺に行き、帰りに、4人で、お酒を飲みかわしました

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借金の厳しい生活の中にも、お酒の憩い、癒しは、ふつうにあったようです

お酒5合で会をはじめて、半分、2合5灼追加したのかな 今も、よくあるパターン

さて、宗善寺は、豊原にあります

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阿部は、海辺の野波瀬近くにあったのではないかと思います 生島への帰りに、ちょっと寄り道・・・

長州藩、忠蔵さんの農民日記43、お斎(とき)と木綿のこと

襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています

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今日は、お斎(とき)と木綿(もめん)のことです

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宝国寺(ほうこくじ)との関わりで、お斎と木綿のことが書いてありました

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お斎をいただいたり、木綿のお金をかしてもらったり、宝国寺さんとは、親しい間だったのかもしれません 忠蔵さんのあと、ひ孫にあたる人が、宝国寺へ、養子にいっています が、冬、壁土ぬりの手伝いをさせられて、すぐ家にもどったという話が伝わっています その後、渋木のある宅へ、養子にいったそうです

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宝国寺は、生島の隣、津雲(つくも)にあります 津雲は、毛利藩家老、益田家の分家が、石米をもらっていました

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分家源兵衛は、先祖、益田牛庵の位牌を、宝国寺におくようにしたとのことです

里芋掘り

おだやかな秋空がつづきます

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朝の気温が下がったためか、里芋が枯れ始めました 

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食べる分だけ、掘ってみました 子いもが、たくさんできていました 

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ジロウガキとザクロも、終わり時期です

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割れたザクロは、見ているだけでも楽しめます

今年も、屋根の補修のつづきをすることにしました

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瓦にシリコンをつける自作道具ですが、ひもをひくのに力が要ります 「てこ」を思い出し、改良しました

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握る部分を伸ばしました シリコンを押し出すのが、楽になりました

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今シーズンには、屋根のこちら斜面部分を完了しようと思います TVで紹介される「田舎家屋のぼろぼろになった屋根」も、安く長持ちさせる方法があれば、・・・

秋晴れで、桂木山から、周防灘の向こうまで見えました

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今日は、とてもよい秋晴れでした 美祢市秋芳町、桂木山に登りました

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山頂までの、道の状況です 以下、ポイントを、写真で紹介します

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尾根は、帰り、要注意です 昔の、美東山中村に出る尾根道が、はっきり残っています

次は、山頂からの景色です

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次は、300ミリで撮ったものです

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周防灘と向かいの山が、かすかに見えました

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かすみがなくなったときは、四国の山々も分かるそうです 

山頂まで、ゆっくり写真を撮りながら歩いても、1時間半は、かからないでしょう

この桂木山の登山コースと展望は、いつまでも続いてほしいです 

忠蔵さんの農民日記42、小遣(づか)いのこと

襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています

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今日は、小遣い(こづかい)のことです 江戸時代、寺社の縁日は、子供たちにとっては、とても楽しみな行事だったことでしょう 

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忠蔵さんの日記には、たくさんの寺社が出てきます

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まず、豊原、正学院に行ったときの小づかいです

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次は、海辺の野波瀬、「えびす祭り」に行ったときのことです

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さて、80円や100円で、どんなものを買っていたのでしょうか 

次は、「華の節」のことです 

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「華の節」の行事が、よく分かりません はじめ、「花まつり」かと思いました 禅宗のお寺、明峰寺に行って、住職さんに聞きました

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花まつりは、明治以降の行事で、4月8日が基本のようなので、「華の節」は、ちがう祭日のようです 各宗派の上人のことを調べてみると、天台宗で、それらしき事柄を見つけました

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その昔、三隅は、天台宗の影響を強く受けていたものと思われます ふすまの日記は、断片的なので、別の資料が見つかればいいなと思います

長州藩、忠蔵さんの農民日記41、さい銭のこと

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道に、椎の実が落ちていました 子供の頃は、よく拾ったものですが

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今、襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています

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今日は、さい銭のことです

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さい銭の金額も、香典と同じように、幅があります 忠蔵さんは、さい銭にも、困っていたようです

江戸時代、三隅中村に建てられた、「弘法様」に、お参りしています お米の神様です 天明のききんで、大不作になり、借金が増えていったので、弘法様には、特別な思いをもって、お参りしたことでしょう 

現在は、4月21日に、お祭りが行われているようです

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弘法様は、熊野権現社と並んで建てられています 弘法様については、伝説が残っています(ブログで紹介しています)

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明治に、熊野権現社が、三隅八幡宮にまとめられるまでは、とても、にぎわっていたようです