襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています
今日は、香典(こうでん)のことです
忠蔵さんが遣っている「香典」には、金額に、幅があります
祝儀と違って、身内以外の人ともかかわりがある「香典」には、江戸時代も、金額に幅があったようです
襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています
今日は、香典(こうでん)のことです
忠蔵さんが遣っている「香典」には、金額に、幅があります
祝儀と違って、身内以外の人ともかかわりがある「香典」には、江戸時代も、金額に幅があったようです
今日は、すばらしい秋空でした
セイタカアワダチソウ、カキの色が、映えます
もう、サザンカが咲いていました
今日は、ラジオを聞きながら、古い墓についたコケを取りました
今、「江戸時代のふすま日記」を「れんさい」中ですが、日記を書いた「忠蔵さん」の墓を確認しました
忠蔵さんは、第五世です
まず、位牌と系図を調べて、名簿を作成しました
墓石は、三世から、文字が確認できました
石の質がよくなったのか、新しいものほど、字がはっきりしています
おじぞう様があり、幼児の墓がいくつかあります
子供がよく死ぬので、おじぞう様を造ってもらったそうです
ところで、初代のころの墓は、原石です
同じ時代、近くには、丸い墓石があります
当村、生島の薬師堂には、元文時代の、原石供養塔があります 墓石の形も、時代によって変わっていったのでしょうか
山から家に持って帰ったハゼノキの、古い切り株は、1年以上放置したままでした
いいかげんに、手入れしようと、まず、小分けすることにしました
上の部分は、2つになりました それでも、けっこうな大きさです
小さなきのこが、びっしりついています これを、こさぎ落とさなくてはなりません
きのこ落としの道具を、作りました 春までには、なんとか、切り株をきれいにしようと思います
襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています
今日は、御初穂(おはつほ、江戸時代は御初尾)と、正学院(天台宗のお寺)のことです
忠蔵さんは、三隅豊原にある正学院というお寺で、二十三夜の願掛けをしています
正学院は、天台宗の修験場ですが、薬師如来があり、子供たちの健やかな成長を願って、地域の人が祈願したようです
正学院は、三隅豊原、駅近くにありました いまは、小さなお堂だけが残っています
大昔、三隅は、天台宗の里のような地域だったようです
三隅には、薬師堂が、浅田、久原、生島、宗頭の4ケ所にあり、六地蔵も、ほとんどの地区にあります 村人が、天災や病気とたたかいながら生活してきたことが、想像できます