チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

長門市三隅の昔話、源範頼(みなもとののりより)の墓と当麻小太郎(たいまこたろう)

源範頼(みなもとののりより)は、伊豆の修禅寺(しゅぜんじ)に幽閉され、梶原景時(かじわらかげとき)に、闇討ちされて、自害しました 墓地は、修禅寺にありますが、その近くの大寧寺、広島、浜松、鳥取などに、源範頼墓伝説があるようです

そして、ここ長門市三隅にも、源範頼墓伝説があります

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長門市三隅、生島に源範頼の墓が、市に源範頼の供養塔があります 生島の墓の形は、義経の墓に近いです 三隅に伝わっているのは、次のようなお話です

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範頼に関する資料が、いくつかあります

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吉見氏の家譜によると、当麻三郎は死に、小太郎だけ生き残っています 小太郎一人が、この生島に来て、主君範頼と父三郎の墓を造ったのかもしれません(首の有無は別として) 三隅八幡宮は、市へ移転したあと全焼し、総て失われてしまったようなので、鎌倉時代やそれ以前の資料がなくて、残念です 

いずれにしても、小太郎は、武芸に優れ、お寺まで建てたとは、立派です 広田家も有力者だったのでしょう

江戸時代の地図「行程記」は、現在とほぼ同じなので、位置や様子を調べるのに、とても役に立ちます

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カバ縄手~いか嶋(生島)~三見の道、往古、山陰道本街道で、今は、県道64号です この辺りで、「あぶみ」が掘り出されたそうです 金焼(かねやき)という小名なので、かじやがあったのかもしれません 

現在の生島周辺と明治20年の地図を、比べてみました

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生島村は、今は20数軒、江戸時代初めは50軒です 当麻小太郎が活躍した頃、この生島は、街道筋で、八幡宮もあり、さぞ、にぎやかだったことだろうなあ