チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

萩城の料理56,徳丸逝去

田を畑にしたところの水の出口、ミトが不用になりました

ミトに、板をはさんでいましたが、板が腐って泥が水路に出るようになったので、コンクリで固めることにしました 

わずかな部分でしたが、砂袋を1つ全部使いました 水路は、厚いコンクリでできていることが分かりました この部分は、もう崩れる心配はありません 畑の管理がまた一つ、楽になりました

今、萩城の賄帳を調べています 今日は、毛利9代斉房の7回忌法事とその子徳丸の逝去のことです 

金額の書き方が、これまでと違っています 普通、銭何文、銀にして何匁と書いてありますが、これには、金何匁、銀何匁となっています 少額金貨が発行されたのは、文政になってからだそうで、この帳面の意味がよく分かりません

徳丸は、9代斉房の子で、人質として江戸屋敷にいたようですが、毛利十一代史に、とんでもないことが書いてありました

徳丸が死んだときは、2歳だったとか 誕生日を偽って、1歳で袴着をしたみたいです ばれたら大変なことです 徳丸死去のあと、萩城内は、世継ぎをどうして、だれが江戸住まいになるか策がとられたことでしょう 

世継ぎを弾正にし、正室を10代の子義姫にして江戸にいくことになったのは、1年以上もたってからです 小藩だったらお取りつぶしになっていたかも そこは、8代正室(田安徳川宗武5女)、9代正室有栖川宮家)が、存命だったから穏便に進んだのかな