毛利秀就(ひでなり)は、関ヶ原の戦いで負けた毛利輝元の子で、防長2国の初代藩主になりました 1595年生まれなので、関ヶ原の戦いの後、慶長5年(1600年)は、まだ5歳でした
毛利博物館のホームページに、防長2国が与えられた起請文が紹介されていました
長州藩のはじめの様子が紹介してあるというので、先日行ってみました
博物館や庭園は、大正時代につくられたものでした 江戸時代のものかと思っていました
初代藩主秀就は、初めから家康の人質として、江戸住まいで、10年たってやっと萩に帰ってきました それでも、毛利家が存続できたことに感謝の念をもって、2代将軍秀忠死去のときに、3代将軍家光に、起請文を書いていました
毛利藩の始めのころの、文書をひろってみました
輝元は隠居した形でしたが、幼少の藩主を江戸にあずけて、家老衆の知恵で地をかためていったようです