ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
長州藩の小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文政3年のものです
文政時代、長州藩は、不作の連続だったようです 前大津(長門市、三隅、豊田の一部)は、文政4年がひどかったようです 忠蔵さんの記録をみると、文政3年から不作が始まっているようです
混納帳に、小作地の加調米(地主に渡す米)のことが書かれていました
混納帳は、ばらばらになっていたものを、数字を合わせてつないでいます 加調米の部分は、上の張り紙が取れないので、裏をスキャンして、パソコンで反転しました
小作地が、予定の収量に達していないので、加調米を渡すのは、たいへんです 多分、不足分は、借銭となったものと思います
桝の大きさが変わったことや、加調米が増えたことの、年代を確定できれば、状況をもっとくわしくつかめるのですが・・・