ふすまに貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています
忠蔵さんの墓を調べていて、2つ、位牌にも系図にもないものがありました
忠右衛門の関係女性で、文化4年になくなっています
忠蔵さんの日記に、文化5年のものがありました 右が、文化4年だと思います そこに、忠右衛門さんへ、御鉢米を届けたことが書いてあります 葬儀に関するものです 今も地下には、各家1升ずつ出しています 忠右衛門さんは、分家ですが、忠蔵さんの弟、佐五郎だから、同じ墓地におかれたのでしょう
忠右衛門という名は、三世、七世もですので、ややこしいですが、文化4年は、どちらも関係ありません 若くして奥さんをなくし、一代のみの分家になったのでしょう
墓地探しといえば、当地村田清風先生が、有名です 文化14年、毛利の先祖の墓を探しに、鎌倉に行っています
清風先生の墓探しは、はんぱないです そういえば、鶴岡八幡宮には、島津家の先祖の墓もあったような・・・