関ヶ原の戦いの後、毛利の領地は、防長2国(山口県)になりました
そして、その石高は、36万石となりました
今年の、村田清風記念館主催の古文書講座で、そのいきさつの資料を読みました
内容を、分けてみました
講師は、毛利博物館顧問の小山良昌先生です はじめ、29万石だったのが、検地の結果、53万石になり、いろいろ相談して、36万石で、幕府に報告したということです
相談者には、本田様、福嶋様、黒田様の名前があります
このことについては、三隅町史に、分かりやすく書かれていました
萩藩の農民は、36万石でも、きびしいくらしだったのに、53万石だったら、それこそ死ぬか生きるかの生活だったかもしれないなと思いました この資料を見る限りでは、本田様、福嶋様、黒田様は、とてもいい方だったように思いました
昨日も、春の穏やかな一日でした
散ったシダレウメの花のまわりに、スズメが集まっていました 花見をしていたのかな
田んぼの隅の畑に、サトイモを植えました
穴を掘って、種イモと腐葉土を入れ、次の穴の土をかぶせるという、ちょっと手抜きでしました