当生島の東に津雲という地区があります
萩博物館に展示してある古地図の一つです 生島、津雲、飯井、三見と続いています
防長風土注進案には津雲村知行は益田源兵衛となっています
萩博物館で買った絵地図で探してみました
ありました けっこう大きな屋敷です 寄組1000石 飯井村や小郡にも領地があったようです 三見の歴史(三見公民館)には、分家の益田家とありました 永代家老の益田家(準一門)とあと寄組三家あります その一人が左の屋敷の家老益田弾正です この方は禁門の変の責任をとって自害した三家老の一人のようです
ところで絵地図に村上筑後出屋敷とあります 周防大島の資料にありました 村上水軍の家系で長州征伐のときに戦っています
昔の資料を並べてみるといろんなことが分かってきます