伊豆で亡くなった源範頼は、伊豆だけでなく、全国各地に墓があるようです この長門市にも、墓と供養塔があり、範頼が建てたお寺もあったようです
三隅の範頼の墓伝説では、家来が範頼供養のために吉祥寺というお寺を建てたようですが、隣町、美東町の法然寺の由来では、範頼が戦後処理で三隅にいたときに、本人が浄土宗のお寺を建てたようです 戦後処理といえば、安徳天皇のことも、三隅に関係しています
平家の弔い、安徳天皇の供養、浄土宗に改宗した阿弥陀寺、浄土宗開祖の名前がついた法然寺、法然上人の浄土宗が広まって10年、範頼は幼少期を曹洞宗のお寺で過ごしているし、三隅にお寺を建てたのは、範頼の家来ではなく、範頼本人の方が、自然です
そこで、三隅の範頼の墓伝説と安徳天皇の墓伝説を合体して、新しい伝説、解釈を作ってみました
つづいて、以前の昔話、2つを紹介します