春が進んでいます ユスラウメが咲きました
萩藩三隅生島、久原の領主・知行、寄組村上作兵衛への焼米献上について紹介しています
生島村農民、水野(名乗れません)忠蔵は、5世家督をついでから、作物混納帳、飯麦帳、飯米帳を記録していました
作物混納帳には、米の収穫記録がありますが、その中に、焼米のことがありました
何度も村上作兵衛へ、焼米を上納しています 文政3年は、各戸1升でしたが、1斗も出しています 小作で借米が多かったのに、農民は苦労していたと想像します
焼米は、いったい何に使われたのでしょうか