チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

忠蔵さんの農民日記p87、新道作り

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自作本の紹介をしています 今日は、新道作りのことです 

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村人は、作業のたびに、お酒を飲んでいました 今もかわりませんが 近くには、岡藤、和泉、阿部などの酒屋がありました 岡藤は、造り酒屋でもありました 

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今、竹山から、なだらの親を切り出しています まだたけのこは出ていませんが、もう、いのししがさぐったあとがありました

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忠蔵さんの農民日記p86、襖張替

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自作本の紹介をしています 今日は、襖張替えのことです

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襖を張り替えるとき、木枠に使いふるした紙をはっていました 不用になったふすまをはいでいくと、中から古文書がよく見つかります

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今、古い家がそっくり解体されることが多くなったようですが、襖の中には、江戸時代の生活が分かる古文書が入っているかもしれません

長門市三隅生島の大乗妙典奉納石碑のこと

長門市三隅生島に薬師堂があります 町内には4ウありましたが、他は崩れて1つだけ残りました

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ところが、最近、この薬師堂も危なくなってきました

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土台は朽ちています 自治会で、保存について話し合っているところですが、この薬師堂のことについて整理してみました

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この機会に、ここにある石碑のことについて調べました

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長門市内には、大乗妙典に関する石碑がいくつかあるようです ここで奉納したお坊さんは、鳥取県から来たようです

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三朝町は、修行僧がたくさんいたのでしょうか あの、有名な崖の上のお堂も、この町にあるようです

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ところで、修行を終えたお坊さんは、その後どうなったのでしょう

萩市三見のつつぼ団子祭事のこと

萩市三見には、みちのえき「さんさん三見」があり、景色と地域の産物が楽しめます

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江戸時代、天保時代のことを書いた「防長風土注進案」によると、三見周辺で、二十日正月に「つつぼ団子」をお供えする祭事があったそうです

三見の親戚にたずねてみました それと思われる祭事が、今も節分過ぎに行われているとのことでした 次のような内容です

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団子お供え祭事のほかに、「地神祭り」「お日まち祭り」「山の神祭り」なども行われているそうです 三見には、昔からの行事が、まだまだ残っているようです

長門市三隅久原にある村上某の墓のこと

昨日はずいぶんあたたかくなりました

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屋根から落ちた雪もとけ、梅が咲きました

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三隅久原の方から、久原にはおってない「村上」という墓があると聞き、見にいきました

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立派で、町人の墓ではないようです 両横に女性の名前、中央の人は、院をもらっていません 家紋があります 鈍斎という名も気になります 前の灯篭に、村上作之進という名があり、この人が作ったのでしょうか

村上家には、三隅久原と生島の知行主がいました 村上家寄組は三家あり、村上水軍の一族で、毛利藩主とともに長州に来ました

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久原、生島知行の村上作兵衛の墓所は、どこにあるのか、まだ調査中です 久原の墓は、1つだけで、家紋から、村上作兵衛に関係する人のものではないかと思います

墓は、天保のものですが、少し前に、村上家にかかわる事件がありました(十一代史)

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武藤家に養子にいった弟が、殺害事件を起こし、斬首され、親元兄の対応が悪かったので、知行を減らされ隠居させられました 死骸は旦那寺に埋葬されたようです 斬首されて17年、17年の法要を済ませたあと、翌年にこの供養塔を造ったのではないかと想像しました

解明のためには、村上作兵衛家の墓を見つけなくては・・・

忠蔵さんの農民日記p85、大唐米刈取

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自作本の紹介をしています 今日は、大唐米刈取のことです

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忠蔵さんが大唐米を栽培したのは、わずかな期間だったようです

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毎年、古代米の黒を栽培しています 

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ご飯に入れると、赤飯のように楽しめます

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この正月は、古代米のしめ飾りをつけました

忠蔵さんの農民日記p84、ところてんのこと

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自作本の紹介をしています 今日は、ところてんのことです

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昔、ところてんは、近くの海で天草をとってつくることもできました(今は、禁じられています) 栗良海岸では、八幡宮御神体をひろったという言い伝えもあります

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大昔は、生島に八幡宮がありました 言い伝えは、次のような内容です

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