チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

湯本の屏風その2、堅田家下屋敷

いただいた屏風に、寛文時代の萩藩家老と思われる名前がありました

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この書状を、はいで読むことができました

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内容は、萩城下、川島村の庄屋が、堅田家の下屋敷の土地を確保したということみたいです 

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堅田安房様にあてた書状が、家老までまわっているということでしょうか 屋敷の広さを計算してみました 訂正(存知記は、存知訖)

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けっこう広く、学校ひとつ分はあるでしょうか 堅田氏は、三隅に2千石の給領地をもっていましたが、寛永2年、知行替で他の場所に移ったようです 当時の要職の中に、毛利主膳、毛利宮内、益田越中が見えます この3人が家老だったと思います

萩の古地図で確認してみました

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書状の中の、渡り口御殿と堅田下屋敷が、地図と一致します 石高6000石もあるので、家臣の中でも重要な位置にあったのでしょう 屏風の中には、堅田氏にあてた書類がいくつかあります 中身が 楽しみです

長州藩、忠蔵さんの農民日記149、生島村人の年貢その6、茶と桑

ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています

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大津郡三隅村生島村人の年貢を紹介しています 今日は、茶と桑の年貢です

忠蔵さんは、茶と桑(かいこ)を育てていました

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忠蔵さんや村人の年貢帳の中に、茶と桑がありました

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茶と桑には、米1升分、2升分の年貢がかかっています 生島村25軒のうち、数軒が年貢がかかるほどお茶や蚕を育てていたようです 櫨ハゼを植えているのに、こちらは、どんなふうに年貢がとられていたのか、今、調べ中です

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冬前のせいか、家のまわりで、かまきりがうろうろしています 玄関の番をしているものがいました

長州藩、忠蔵さんの農民日記148、文政6年の落米のこと

今年は、いのししに入られ、その上すずめに食べられ、悲惨な稲作となりました

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いつもは、7俵前後はあるのに、今年は、半分以下でした 

忠蔵さんは、混納帳に、猪の被害のことを書いていました

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大庄屋山本家の小作で、加調米を取られ、苦しいのに、猪に食われたり、風水害にあったり、みじめな生活だったことでしょう イノシシの被害は、文政6年だけでしたが、水害や不熟による落米は、何年も続いていました 混納帳にかいてある麦やいも、豆など他の作物が、たすけになっていたのでしょう

ところが、文政12年に、なんと、長州藩は産物会所をつくって、野菜も統制しました 農民が苦しくなって、ついに、天保一揆を起こしたそうです

親戚から頂いた屏風の古文書1

台風がさり、風もおさまりましたが、長門は遠く離れているのに、前回通過した台風より強い風でした 関東は、大変だったことがうかがえます

またひとつ、古文書が手に入りました 親戚から、古くなった屏風をいただきました

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屏風には、6つの詩がかいてあり、どれも同一人物の書でした 瑞雲山(大寧寺のこと)と読めますが、どうでしょう 親戚が湯本だから、可能性はあります

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関心があるのは、中の張り紙です 明治の書類がありました はいでみると、下に古い屏風がありました 

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下に古文書がありました これは、楽しみです 水でぬらすと字がはっきりします 大きな字で名前が書いてあります えらい人のように思いました

デジカメで撮って、パソコンで反転すると、読めるようになります

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寛文時代、長州藩3家老のようです 書状と思われます これから、ゆっくりはいで調べます 忠蔵さんの古文書も、紹介していかなくては

田の畔の石垣にコンクリートをつけました

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田の畔が石垣になっています わずかですが、夏は草刈りがめんどうです おまけに、もぐらが土をかき出して、すきまになっています

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草やふじ、くずを取り除くと、石垣らしくなりました 石の間にコンクリをつめました

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これで、草がはえません 当分、ここの世話をしなくてもよいので、助かります ひまになったら、この上に、コンクリを、もうひと重ねしたいと思います

いのししが大暴れ

今年は、いのししの悪さが半端ではありません

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いのししが、新しい侵入の仕方をして、畑は、わやです

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間に合わせで、囲いをしました いつかは、トタンにします

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ぎんなんのしごが終わりました まだ、畑に残っていますが、毎年余るので、これでやめることにしました

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熟れがおくれたシャインマスカット やっと酸味がぬけましたが、いまひとつです

来年は、虫だけは、気を付けようと思います

長州藩、忠蔵さんの農民日記147、櫨ハゼのこと4、接木苗木

ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています

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以前、忠蔵さんが櫨はぜの苗木を植えたことを紹介しました

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はぜの苗木を植えたことを絵にしていて、ふと思ったことがありました

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苗木では、まだ実がなるか分かりません 

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雌雄別種で、少し大きくならないと花が咲きません どうして実がなる木だと分かって、農民に植えさせたのでしょうか

学生時代、講座の先生から紹介されて買った本を思い出しました

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大蔵永常さんが、江戸時代の接木のことを研究していました ハゼのこともしっかり書かれていました 長州藩では、寛政時代に、はぜの接木苗が配られていたようです 接ぎ木の技術が、全国に広まっていたのだろうと思いました

ちなみに、中国では、西暦500年ころに、立派な本が書かれているようです 日本は、まだ、大和時代に・・・

江戸時代は、自分にとって、まだまだ未知の世界のようです