長門市三隅、市の橋から見た、中国山地です 左が権現山、右が天井山です
三隅側からは、地図を逆さにして見ます この地図には、まだ新しい八代ー三隅道路がかいてありません
この山並みのことが、江戸時代の記録、地下上伸に書かれています
山並みに、文を並べてみました
江戸時代の長尾山は、権現山に、すのこの嶽は、天井山になったようです 長谷山のことで、気づいたことがあります
明治時代、二階さんという、植物研究の先駆者がおられました 山口県植物誌に詳しく書かれています
二階さんは、三隅、中小野出身で、目の前の長谷山や天井山、辻並で植物採集をされています
山口県植物誌で、二階さんが、長谷山と天井山で採集されたものをあげてみました 始め山口県におられて、途中、岡山、広島に行かれ、その間の標本の記録がぬけています そして、長谷山が消えて、天井山の名が出てきます 山の名については、明治の大事業、地図作成で、名前が統一されていったのではないかと思いました
江戸時代は、それぞれの地域で名前を付けていたので、同じ名前があちこちにあり、混乱しないように、統一されていったのだろうと思いました 先日、長門市の人に、あの山は、西山といっていますが、というと、あれは、東山、西山は、日置との境といわれ、混乱がおきるはずだと思いました
さて、以前、三隅ー渋木、真木境の、「石原峠」のことを書きました
昭和48年、三隅町史添付の地図に、「石原峠」がありました 今の地図と、場所が違っています
昔、学校で使われていた地図を見て、「石原峠」の道が、車が通れるようになっているのに気が付きました 人も通れないかもしれません
先日、最新の長門市防災マップが届きました
「石原峠」の名があります
緊急のとき、地図は重要だから、もう地名が変わることはないでしょう 昔の地図は、昔のことを楽しむために見た方がよさそう