ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
今日は、江戸時代の三隅八幡宮のことです
三隅八幡宮は、三隅の中心となる神社で、抱える社も70以上あります
江戸時代は、神事だけでなく、仏事も行っていたようです
八幡宮の念仏講が、三ケ村まとめて行われていたようですが、宗派を越えて、どのような内容だったのでしょうか
今回は、けっこうな大雨が降りましたが、川は、少し増えた程度でした
去年まで、ヒエが大量に発生して、今年こそはと、除草剤を2種類まきましたが、部分的におさえられませんでした
しぶしぶヒエを取りました この田んぼのくせを、来年こそは攻略します
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今日は、忠蔵さんが届けた祝儀のことです
忠蔵さんは、祝儀をいろんなところへ届けています 武士だけでなく、百姓も、儀礼が多かったようです 特に、お寺とのつきあいは、今では考えられないように思います
N66でも、祝儀のことを紹介していますが、「把」を「包」に訂正します
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忠蔵さんは、檀那寺明教寺(現在も檀那寺)に、ちょくちょくお参りしています 正月や盆のことと親鸞聖人550回忌のことが、書いてありました
親鸞聖人550回忌は、文化8年ですが、それより前から、準備をされていたのでしょう 今、報恩講のときは、お米1升とお布施をもっていきますが、お米1升というのは、いろんな意味での基準のようです
ところで、明教寺は、中国山地の向こうにあります
嘉万に行くには、大平垰か大水垰を通ります 江戸時代の地図に、大平垰と明教寺を見ることができます
大水垰の方が近いのに、往還道は、わざわざ遠い大平垰を通ったのには、わけがありそうです
大平垰は、標高280mあるようです 今、土砂崩れのため、通行止めです
大水垰は、300m以上あるようです 荷車が通るのが精いっぱいです どちらの道も、土砂崩れが頻繁に起こっているようです
とくに、大水垰については、辻並という村が壊滅にいたったという言い伝えがあるようです
大水という名がついているように、雨がふると、吹き出すように水が出たのでしょう 実際、天井山に登ると、日ごろ乾いている谷川が、雨後は滝のようになっているのを見ます 辻並ダムができ、新しい大水トンネルができましたが、そのトンネルの中からは、大量の水が出るそうです
ここ数日、草刈りが続きました
ちょっと、えらいです えらいとは、山口県の方言で、疲れてだるいというような意味
学生時代、「えらい」とか「やぶれる」とかいうと、不思議がられました
草刈りをしながら、成物の成長をみると、うれしさの方が勝ります
先日塩づけした梅から、酢がたっぷり出ました 雑菌もなく、うまくできそうです