自作本の紹介をしています 今日はp66田植のことです
田植えは、何軒か、何人かがまとまって、順番に農家を回っていました この地域では、昭和40年代までその仕組みが続いていました
田植えの賃金は、延べ人数で互いに差し引きし、余分を銭で払っていたようです
忠蔵さんの記録した田畑の場所は、今もほぼ分かります
忠蔵さんは、稲の品種も記録していました 「福嶋」というのがありますが、東北で作られていたものと同じかもしれません 品種がいろいろあり、藩の政策だったのかも
田植え、草取りなど、田畑の日役は、男女同じで1匁くらいでした
田植えに限らず、農作業のときは、お酒がつきものだったようです 昭和時代は、休憩に、むすびとたくあん、お茶が出されていました このことを「たばこ」と言っていました
田植えが済むと、「しろみて」「どろおとし」という行事があり、農家は一休みができたようです