襖に貼ってあった、江戸時代の日記を整理しています
今日は、とうふ豆腐の代金のことです
地神祭は、当屋が順番で担当していました このときの、とうふ豆腐の代金で、1丁が5厘、40円と計算できました 以下、これで計算しています 地区に、昔、豆腐をつくっていた家があり、今でも「とうふや」と言っていますが、この家のことか、よく分かりません
地神祭の当屋は、経費の一部を負担したものと思われます 多くは、村の経費から出ていると思います
妹「おゆり」の嫁ぎ先の「法事」で、豆腐を買っています けっこうな数です
豆腐は、自家製が多かったと聞きますが、忠蔵さんは、作らなかったのかもしれません
地神祭については、三隅町史と風土注進案(天保時代)に書かれています
天台宗地神経の祭事のようです 昔、江戸以前は、三隅は天台宗の寺院がほとんどだったようです そのなごりとして、江戸時代、薬師堂が、浅田、久原、生島、宗頭にありました (訂正 盲僧を→盲僧と) 神社が行うものと「地鎮祭」というようですが、地下では、昔からのなごりからか、「じじんまつり」と言っています
注進案では、昔、琵琶の語りが禁止されたことがあるようです 大正時代の禁止のことも含めて、理由があるようです
生島村の今は、1月の休日に、「地神祭」を、3つの祭りをまとめて行っています
別々に行っていた元来の地神祭、2月1日のもり様の祭(牛の綱うち)、10月2日の大歳様の祭を、公会堂で、まとめて行っています 6本も作る注連縄作りが、これからむつかしくなりつつあります
以下、これまでの品物の代金一覧です