チューメイくんの田舎ぐらし

定年退職後田舎ぐらしを始めました

忠蔵さんの農民日記p5、忠蔵さんの田畠

自作本、農民日記を紹介しています

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今日は、p5、忠蔵さんの受け継いだ田畠です

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天明のききんは、相当な災難だったようです さらに、分家が続き、忠蔵さんの田畠は、減る一方で、小作になりました

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生島村に居住したころは、地主で、村の中心的な役を果たしていたのでしょう

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土地は、生島村の上から下まで点在していました 栄枯盛衰、何代も安定した生活を続けるというのは、たいへんなことのようです

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倉庫を整理していたら、枝切鋸の替え刃が、何枚も出てきました 親が、山仕事に使っていたものでしょう

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薪を柄にして、竹切用の鋸に改造しました これで、死ぬまで、竹切鋸に困りません

農民日記、忠蔵さんの先祖

自作本、忠蔵さんの農民日記を紹介しています

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忠蔵さんの先祖は、鎌倉の武士となっています

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毛利が長州藩になったとき、領主村上さんか堅田さんと一緒に、生島村に居住したのでしょう はじめは、3町歩も田があったので、優遇されていたようです ただ、はじめのころの古文書が見つかりません 

墓地の周りが、殺風景になってきました

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畑の畔のヒガンバナをもってきて、植えました 秋、彼岸のころに咲いてくれればいいなと思います

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墓地の周辺には、コタチツボスミレがたくさん咲いていました 

農民日記の文字、覚えられない字は電子辞書で

忠蔵さんの農民日記の原稿が、完成しました

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全部で177ぺーじ、先日、萩の印刷会社へ注文しました

これから、中身について、少しずつ紹介していきます(自己満足なので、ご理解ください)

古文書を読むにあたって、覚えていたらよいなと思った文字の一覧を作成しました

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覚えられたらよいのですが、無理なので、いつも電子辞書にたよっています

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手書きで、文字をひろってくれます とても助かります もう10年もこの辞書を使っています 

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庭に、なつみかんを置いています 一日中ヒヨドリがやってきます ヒュウガナツも置きましたが、味があわないのか、つつきませんでした

青海島高山からのながめ

昨日は、よく降りました でも、今日はとてもよい天気です

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本の原稿が完成したので、青海島高山に登ることにしました

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平穏な景色です 今、世界がたいへんなことになっているのが、不思議なくらいです

平穏が一番幸せなのかも

おひな様、家のは大正の配置でした

今日は、暖かく、春そのものでした

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暖地性さくらんぼは満開です これだけ花があれば、実もいっぱいできそうです

今日は、ひなまつり、わが家にも飾ってあります

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先日、大阪から来た孫が、「並び方が反対になってる」といいました

意味がよく分かりませんでしたが、昨夜のテレビで分かりました なるほど、大正天皇のときに変わったのですね ということは、江戸時代は、この配置ではなかったということです

今、江戸時代の農民日記をかいていますが、その中に、節句のことを入れてます

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家のを見て、絵をかいたから、あきらかに、間違っていました 逆にしなくては

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ペイントで、ちょっと入れ替えました 大正かざりと平安かざりと覚えることにしました 

おかげで、節句のページは、整理ができました

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ところで、忠蔵さんは、孫に、ひな人形を144文で買っています。醤油2本分の値段で、ずいぶん安いです。質素なものだったのでしょう 農民は、まだ、地味な節句をしていたのかも 

また、こいのぼりを買った記録は、見つかっていません

古文書講座、毛利隆元人質のときの日記

今日は、村田清風記念館の古文書講座がありました。講師は、毛利博物館顧問の小山良昌先生です。内容は、毛利隆元大内義隆の人質に、山口に来た時のことです。

その時の場面は、三隅の昔話で、少し勉強しました。三隅に、大内ゆかりといわれる祠があります。

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大内義隆の子、鶴姫といわれる人が、この地でなくなりました この姫が、生まれたときに、毛利隆元が、大内のもとへ人質にきました。

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人質中の隆元は、屋形で、学問や武芸をしたりして過ごしているのかと思っていましたが、日記には、けっこう堅苦しい、お城と変わらない生活があったように思いました。

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毛利隆元は、元服を、大内のもとで行い、このとき、名前を、義隆の隆をもらったそうです。大内と毛利は、協力しながら中国地方をまとめていくつもりだったのでしょうが、なかなか・・・