自作本の紹介をしています 今日は、ほこり落としのことです 秋の収穫、混納が終わったころに、村内で慰労会が行われました
忠蔵さんの日記には、「亥の子」ということばがありませんでしたが、子供の百合吉が、隣のうちへ米を持っていっているので、子供の「亥の子」節句を兼ねていたのではないかと思いました 生島村では、10月には、「大歳祭」という全体の行事がありました
江戸時代、長門、萩地域で「ほこり落とし」や「亥の子」が行われていたのは、限られていたようです
生島村では、今は、「ほこり落とし」も「亥の子」もありません 今でも「亥の子」や「ほこり落とし」の祭事が残っているのは、貴重ですね
いつのまにか、ザクロの花が咲いていました 緑の中の点そのままです