以前、忠蔵さんの農民日記で、節分のことを紹介しました
2月3日の日付で、節分の内容を紹介していますが、江戸時代には、12月から1月中旬の間にあって、それが終わって新春を迎えたようです
今、萩城算用方の帳面を整理しています
文化10年から文政4年くらまでの、萩城の殿様と家族の料理のことが書かれています
まず、毛利十一代史で、そのころの家族を調べました 太字は、帳面にある人です
中に、節分のときの料理がありました 殿様を中心に、50人で、そばを食べています
2月3日訂正しました 1文=10円については、当時の醤油の値段と比べ、
醤油1升800円=80文から、1文=10円で換算しています
御奥は殿様の居住場所で、江戸城の大奥にあたるのは、萩城では西長屋となっています
もう一枚には、正月2日の節分の料理がありました 帳面の記録の関係もあるかもしれませんが、節分は、年によってずれているようです