襖の張り紙に、江戸時代の日記がありました 書いたのは、長州藩、前大津裁判、三隅、生島村の百姓、「水野忠蔵」という人です(公の場では、名字を書かれませんが、水野家系図には、他家も皆、名字が書かれています)
今、少しずつ整理しているところですが、それにあわせて、内容を紹介することにしました
忠蔵の祖先、水野太郎満は、鎌倉の落人ということです 墓地には、大きな石の墓があり、野武士の墓と伝わっています
長州藩は、萩毛利藩、長府毛利藩、徳山毛利藩、岩国領吉川藩に分かれていました(吉川を藩とは認めていなかった) 太郎満は、毛利が萩にきたとき、同じように鎌倉から生島に来たのか、江戸以前に来ていたのかは、分かりません
忠蔵の日記は、家督を継いでから書かれたものと思います
文字は、隣村、市に塾があり、周辺の子供が習ったようです(三隅町史)
襖にあった日記には、いろいろな種類がありました でも、中身がばらばらなので、どの年の帳面のものか、分かりません また、黒くなっていた紙がかなりあり、捨ててしまったのも、残念
次回から、少しずつ、紹介します