防長風土注進案(先、前大津)に、天保時代の長門深川の野菜のことが書かれています
ラフク(大根)、カブ、ミズナ、ヒラグキ、タカナ、チサ、フダンソウ、ニンジン、サトイモ・・・と続きます
ミズナ水菜、別名京菜です
ミズナの次に、ヒラグキ平茎があります 平たい茎といえば、白菜 白菜は、明治になって、中国から移入されたので、違います
週刊朝日百科世界の植物で、関係するものを調べてみました
ミズナ水菜・京菜の葉に切れ込みのないものが、ミブナ壬生菜です これが、広島に伝えられて、広島菜になり、漬物として有名になったようです
これは、長門の店で買った広島菜の漬物です
広島菜のことが、広島県のホームページにありました
広島菜は、原料が、慶長2年1597年に導入された 種子は、江戸時代、安芸国の住人が、京都本願寺から入手し、栽培を始めた という説がある 京都から移入したので、今でも、お年寄りは、京菜、平茎と呼んでいる 平茎とは、茎の形状からきた呼び名 と
また、広島菜は、安芸で栽培され続け、改良され、広島県産業奨励館で、初めて正式名称として、命名展示されたとのこと 産業奨励館は、現在の原爆ドームのことです
安芸と離れていますが、長門深川のヒラグキ平茎は、ミブナ壬生菜のことのように、思いました
夜、広島菜の漬物をいただきながら、想像しました
慶長2年は、毛利輝元が広島城を完成させる2年前 築城の真っ最中 1601年には、福島正則に、城を明け渡して、萩へ 立派な城を造ったのに、入ったのは、わずか2年 さぞ無念だったでしょう 長門深川のヒラグキ平茎が、ミブナ壬生菜のことで、毛利輝元の思いで、長門で作られていたとしたら・・・ 歴史秘話ヒストリア