今日は、村田清風記念館の古文書講座がありました。講師は、毛利博物館顧問の小山良昌先生です。内容は、毛利隆元が大内義隆の人質に、山口に来た時のことです。
その時の場面は、三隅の昔話で、少し勉強しました。三隅に、大内ゆかりといわれる祠があります。
大内義隆の子、鶴姫といわれる人が、この地でなくなりました この姫が、生まれたときに、毛利隆元が、大内のもとへ人質にきました。
人質中の隆元は、屋形で、学問や武芸をしたりして過ごしているのかと思っていましたが、日記には、けっこう堅苦しい、お城と変わらない生活があったように思いました。
毛利隆元は、元服を、大内のもとで行い、このとき、名前を、義隆の隆をもらったそうです。大内と毛利は、協力しながら中国地方をまとめていくつもりだったのでしょうが、なかなか・・・