いただいた屏風に、寛文時代の萩藩家老と思われる名前がありました
この書状を、はいで読むことができました
内容は、萩城下、川島村の庄屋が、堅田家の下屋敷の土地を確保したということみたいです
堅田安房様にあてた書状が、家老までまわっているということでしょうか 屋敷の広さを計算してみました 訂正(存知記は、存知訖)
けっこう広く、学校ひとつ分はあるでしょうか 堅田氏は、三隅に2千石の給領地をもっていましたが、寛永2年、知行替で他の場所に移ったようです 当時の要職の中に、毛利主膳、毛利宮内、益田越中が見えます この3人が家老だったと思います
萩の古地図で確認してみました
書状の中の、渡り口御殿と堅田家下屋敷が、地図と一致します 石高6000石もあるので、家臣の中でも重要な位置にあったのでしょう 屏風の中には、堅田氏にあてた書類がいくつかあります 中身が 楽しみです