今年は、いのししに入られ、その上すずめに食べられ、悲惨な稲作となりました
いつもは、7俵前後はあるのに、今年は、半分以下でした
忠蔵さんは、混納帳に、猪の被害のことを書いていました
大庄屋山本家の小作で、加調米を取られ、苦しいのに、猪に食われたり、風水害にあったり、みじめな生活だったことでしょう イノシシの被害は、文政6年だけでしたが、水害や不熟による落米は、何年も続いていました 混納帳にかいてある麦やいも、豆など他の作物が、たすけになっていたのでしょう
ところが、文政12年に、なんと、長州藩は産物会所をつくって、野菜も統制しました 農民が苦しくなって、ついに、天保の一揆を起こしたそうです