ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
小作農民、忠蔵さんは、飯米帳をつけていました 今日は、文化12年のことです
川掃除のときの飯米を、お蔵からあずかっています 多分、村の世話人になっていたのでしょう 川の補修のために、永否石という年貢がたくわえてありました
一人2合の飯を食べたとして、5升4合をわると、27人になります 多分、これくらいであっていると思います 象がきたときの世話人は、2合5勺食べているので、おすもうさんみたいな人だったのかなと思いました
文化12年は、飯米が少し減ったようです 米での支払いが減ったのか、麦飯の割合が増えたのか?