ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
萩藩、三隅村小作農民忠蔵さんは、家で必要な米の記録を残してくれました
今日は、享和2年の飯米帳の記録を紹介します
自分の家で生産した米で、保有となったのは、うるち、餅合わせて8俵半ばかりです これでは、家族8人が食べるには、足りません 不足分を、藩から与えられています 当然、借銀になります こういう状態が続けば、借銀がふくらみ、農地を売ることになります 借銀が増えるから、飯米はいらないというわけには、いかなかったのでしょう
日記の中に、「音信」ということばが、いくつかありました 「贈り物」と解釈しました