ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
忠蔵さんは、檀那寺明教寺(現在も檀那寺)に、ちょくちょくお参りしています 正月や盆のことと親鸞聖人550回忌のことが、書いてありました
親鸞聖人550回忌は、文化8年ですが、それより前から、準備をされていたのでしょう 今、報恩講のときは、お米1升とお布施をもっていきますが、お米1升というのは、いろんな意味での基準のようです
ところで、明教寺は、中国山地の向こうにあります
嘉万に行くには、大平垰か大水垰を通ります 江戸時代の地図に、大平垰と明教寺を見ることができます
大水垰の方が近いのに、往還道は、わざわざ遠い大平垰を通ったのには、わけがありそうです
大平垰は、標高280mあるようです 今、土砂崩れのため、通行止めです
大水垰は、300m以上あるようです 荷車が通るのが精いっぱいです どちらの道も、土砂崩れが頻繁に起こっているようです
とくに、大水垰については、辻並という村が壊滅にいたったという言い伝えがあるようです
大水という名がついているように、雨がふると、吹き出すように水が出たのでしょう 実際、天井山に登ると、日ごろ乾いている谷川が、雨後は滝のようになっているのを見ます 辻並ダムができ、新しい大水トンネルができましたが、そのトンネルの中からは、大量の水が出るそうです