ふすまに貼ってあった江戸時代の日記を整理しています
借金生活の小作農民、忠蔵さんは、作物の収穫量と飯米の帳面をつけていました
寛政11年から文政9年まで書き続けていた飯米帳を、1年ずつ紹介していきます
収穫できた米8俵は、飯米として自家保有できましたが、足りないので、6俵半購入しています 計算が合っていれば、大人7人として、1人1日2合、食べていたことになります 当然、食べる分だけ借銀は膨らみますが・・・
飯米帳は、寛政11年12年の混納帳から、さらに詳しく書き添えたものだということが、混納帳からわかります
混納帳は、部分的にしか見つかっていません 先で紹介します
今日は、県内大雨警報が出ました
幸い、長門地方は、うるおいの雨になりました